これまでの経緯
ガイ・トタロ
2011年3月11日に東北を襲った震災の後、私は、自分のファミリー・エンタテイナーとしてのスキルと、恵まれない青少年たちや病院を訪ねて行ってきた「クラウン・ケア
の経験が、震災後の様々な支援活動において効果的かつ不可欠な要素になり得ると考えていました。日本文化では自分の感情を表に出さないようにする傾向がある、ということは誰でも知っています。私は専門家ではありませんが、このことは、明らかにプラスとマイナス両方の影響を持つと考えています。自分自身心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんだ経験を持つ者として、悪影響と生涯に渡るトラウマが残ることを防ぐために、出来得る限り早く対処しなくてはならないと考えました。2011年4月21日、私は、後に何度も足を運ぶこととなる東北地方への最初の旅に出発しました。私はそれまで緑豊かな日本の山岳部を訪れたとがありませんでした。風光明媚な美しさが、津波の爪跡を一層際立たせていたように思います。一人で行くことにためらいがあったため、最初の数日間、私は小学校で明治学院大学の学生たちのグループに参加しました。それから東京から来ていたロータリークラブの代表者の人たちと合流しました。この2つのグループは、物資やサービスを提供しており、避難所と保育所に避難していた被災児童たちと私を引き合わせてくれました。私の他愛のないショーやサーカス・ワークショップは大変喜ばれました。老いも若きも一緒に喜び笑うのを見て、私はまたここに来なくてはならない、と確信しました。そうは言っても、これは一人ではできないと思いました。広く継続的な支援を行うためには、しっかりとしたサポートが必要でした。東京に戻って程なくして、小児がん患者とその家族を支援している素晴らしいNPO(非営利団体)タイラー基金から連絡をもらいました。それまで過去4年間、私はタイラー基金と数々のイベントやショーを一緒に行ってきました。彼らは東北の子供たちを支援する道を模索しており、フェースブックを通して私の活動について知ったのです。私たちは力を合わせ、「シャイン オン!ニコニコ大使プログラム」を立ち上げました。タイラー基金は物資と資金をすべて提供し、私の会社GAETANO Company KK (外楽COMPANY株式会社) がプログラム内容を作成し促進しました。2011年5月から2012年3月末までの11ヶ月間に、私たちは80ヶ所以上の場所を回り、約8,000人の子供たちと交流することができました。今ではタイラー基金は本来の活動に戻っています。タイラー基金の子供たちのニーズに対する取り組みは素晴らしく、彼らの援助なくして、これほど多くの人々と結びつくことは到底できなかったでしょう。PTSD救援作業の必要性は依然として強く残っており、私は一人で活動を続けることを決めました。今私は「スマイル・アンバサダー」もしくは日本語で「ニコニコ大使」という新たなNPOを立ち上げようとしています。このやりがいのある活動を支援してくれるサポーターたちと、素晴らしいチームを編成しました。しかしさらなる支援が必要です。私たちは「ニコニコ大使」と呼ばれていますが、ご覧の通り、今では「Ambassadors(大使たち)」という複数形をとっています。これは、私たちは誰もが皆人々を幸せにするために何かができる、という信念に基づいています。私たちは皆「ニコニコ大使たち」なのです。